歯科医師として、ちょっとだけ文化観察してみる。
うちの医院には、院内でのマスク着用をお願いするルールがある。
理由はシンプル。
呼吸器疾患の患者さんが実際に通院しているから。
そして医療現場では、感染症の種類や状況にもよるけれど、同じ空間で過ごす時間が長くなれば、それだけ感染曝露の機会も増える。
だから、院内ではマスク着用をお願いしている。
これは「患者を支配したい」とか「マスクを着けない人が嫌い」という話ではない。
同じ空間にいる患者さんや医療従事者が、できるだけ安心して過ごすための感染対策である。
……なんだけど。
どういうわけか、
こちらから促さない限り、絶対にマスクを着けない人が一定数いる。
マスクを促したときの返答は、ほぼこの2つに収束する
声をかけると、返答はだいたいこの2つ。
「個人の自由ですよね?」
出ました。
「自由」
どうやらこの言葉を、どこでも例外になれる魔法の言葉だと思っている人がいるらしい。
もちろん、マスクを着けるかどうかについて個人の判断が基本とされる場面はある。
でも、
「個人の判断が基本」=「どこに行っても好き勝手にしていい」
ではない。
医療機関には、そこで治療を受ける人たちの安全を守るためのルールがある。そこは理解してほしい。
「忘れた。つけなきゃダメなの?」
これはまだいい。
忘れたなら、お願いすれば着けてくれる人も多い。
問題は、
そもそも着ける気がない人。
理由を聞いても、
「厚生労働省が個人の判断って言ってたから」
これ以外の説明が出てこない。
もちろん、
- 皮膚疾患がある
- 呼吸器の持病がある
- 医療的に着用が難しい
など、個別の事情がある人もいる。
そういう事情があるなら、それはちゃんと相談してほしい。
私だって、事情を聞かずに「絶対着けろ」と言いたいわけではない。
ただ、
「自由になったらしいから外す」
だけで終わってしまう人がいる。
そこに、ちょっとした違和感を覚えるのだ。
ちなみに、過去に1人だけ極端なケースがあった
これは本当に 1人だけ の特殊例なんだけど、こちらがお願いした瞬間に、
「強制ですか!?なぜそんなに言われなければならない!」
と大声で騒ぎ出した人がいた。もちろんその間もマスクは着けていない。
こういう極端な例は少ないけれど、「自由」という言葉が暴走するとこうなるのか、と象徴的な出来事だった。
厚生労働省も「医療機関ではマスク着用を推奨」している
新型コロナウイルス感染症の位置づけが変わった後も、厚生労働省は、医療機関を受診する際にはマスク着用を推奨している。
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また、事業者が感染対策上の理由などから、利用者や従業員にマスク着用を求めることについても、許容されている。
つまり、
「個人の判断が基本になった」
という話と、
「医療機関のルールに従わなくてもいい」
という話は別なのだ。
ここを混同してはいけない。
マイナ保険証を使わない人にも、似たようなものを感じる
そして、個人的にもうひとつ気になるのがマイナ保険証。
もちろん、マイナ保険証を使わないこと自体を悪いと言いたいわけではない。それぞれ事情や考え方があるだろう。
ただ、
「作ってないんです」
で終わってしまう人もいる。
別に怒っているわけではない。
でも、
「なぜ使わないのか」を自分でも説明できないまま、なんとなく使わない。
そういうケースがある。
そして、医療現場では医療情報の共有が治療や安全管理に役立つ場面が実際にある。
私自身、マイナ保険証を利用して、本人の同意のもとで過去の医療情報を確認したことで、治療上重要な情報を把握できたケースを経験している。
例えば、B型肝炎に関する情報が確認できたケースもあった。
もちろん、「マイナ保険証を使えば必ず病気が見つかる」という話ではない。
そして、医療情報は 必要な時だけ、本人の同意のもとで参照する ものだ。
マイナ保険証を使わない人の心理は「データの“見える化”」への抵抗かもしれない
紙の健康保険証の時代から、医療情報は普通にデータ化されている。
保険資格も、医療機関の受診履歴も、請求情報も、全部データベースに存在している。
つまり、
マイナ保険証になったからデータ化されたわけではない。
データは昔からある。
でも、マイナ保険証になってからは、そのデータが “患者自身にも見える形” になった。
薬剤情報も、検査歴も、感染症の既往も、必要な時に本人同意のもとで確認できるようになった。
すると一部の人はこう感じる。
「データが見える=データがどこかにある=悪用されるかも」
実際には、紙の保険証の時代からデータはあるし、マイナ保険証になっても勝手に見られることはない。
でも、
“データが存在していることを自分が認知できる状態”になると、急に不安が現実味を帯びる人がいる。
紙の保険証の時代は、データはあっても「見えなかった」から気にならなかった。
マイナ保険証になって、データが「見える」ようになった瞬間に不安になる。
つまり、
見えないデータは許せるけど、見えるデータは怖い。
この心理は、マスクの「自由ですよね?」と同じ構造をしている。
……と、ここまで書いたものの、もちろん、本当にそうなのかは本人に聞いてみないと分からない。
ただ、歯科医師として日々患者さんを見ていると、私はこの2つに少し似た構造を感じる。
「自分で判断している」というより、「なんとなく嫌だから拒否する」。
そして、その理由を尋ねると「自由だから」という言葉に戻ってくる。
これが今回、私が気になったところなのである。
もちろん、マイナ保険証を使わないこと自体を悪いと言いたいわけではない。
使うかどうかには、それぞれ事情や考え方がある。
私が気になっているのは、
「なぜそうするのか、自分でもよく分からないまま、なんとなく拒否している」
という状態のほうだ。
これはマスクについても少し似ている。
「着けない」という結論だけが先にあって、理由を聞くと、
「個人の自由だから」
に戻ってくる。
自由だからこそ、自分がなぜその選択をするのかを一度考えてみてもいいんじゃないか。
私はそう思うのである。
態度は「攻撃的」ではない。でも、自発的には動かない
ここが今回の話で私が一番興味深いと思っているところ。
こういう人たちは、必ずしも攻撃的な人ばかりではない。
むしろ、
- とぼける
- 「忘れた」と言う
- 申し訳なさそうにする
- 説明すれば納得する
という人の方が多い。
でも、
「自分からは絶対にやらない」
のである。
マスクもそう。保険証もそう。
説明すれば着けるし、対応する。
なのに、
「言われるまでやらない」
のである。
ここが、医療者からするとちょっと気になる。
医療現場では「協力してもらえるか」が意外と重要
もちろん、マスクをしていないから「悪い患者」だと言いたいわけではない。
患者さんには患者さんの事情がある。
ただ、医療現場では、
患者さんと医療者が協力して治療を進める
ということが非常に重要だ。
感染対策もそう。問診もそう。検査もそう。治療もそう。予約管理もそう。
「自分の好きなようにする」だけでは、どうしても成立しない場面がある。
医療機関には、自分以外にも患者さんがいる。
高齢者もいる。基礎疾患を持っている人もいる。感染症に対して特に注意が必要な人もいる。
だから、
「自分にとっては大したことではない」
だけでは判断できないことがある。
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行動の構造をまとめると、こうなる
今回の人たちの行動をまとめると、だいたいこの3つが揃っている。
① 説明できない自由
② なんとなく拒否
③ 自発的には絶対に動かない
この3つが揃うと、医療現場では協力関係が築きにくくなる。
だからこそ、医療者としては気になるのだ。
結局、人間同士の話
マスクをお願いするのは、権利を奪いたいからじゃない。
同じ空間にいる人が、少しでも安心して治療を受けられるようにしたいだけだ。
医療は共同作業だ。
だからこそ、
「自分はこう思う」
だけではなく、
「ここには他の人もいる」
という視点も持ってほしい。
もちろん、医療者側だって同じだ。
患者さんに一方的に我慢を押し付けていいわけではない。
事情があるなら話を聞く。疑問があるなら説明する。必要なら相談する。
そうやって、お互いに少しずつ歩み寄る。
その方が、ずっと話は早い。
「説明できない自由」より、「お互いの安心」。
私はそっちの方が大事だと思う。
医療機関という特殊な場所だからこそ、
自由とわがままは違う。
そして、
ルールに従うことと、思考停止することも違う。
分からなければ聞けばいい。納得できなければ相談すればいい。その上で、自分で判断すればいい。
結局のところ、
人間同士、ちょっとくらい相手のことを考えて行動しようぜ。
自由ってのは、ルールのない状態じゃない。
ルールがない自由は、ただの無秩序だ。
「個人の自由だから」と言うのは簡単だけど、社会の中で生きている以上、自分以外の人間もそこにいる。
自分の自由と、他人の安心。その両方を守ってこその自由なんじゃないか。
歯科医師としては、そう思うのである。
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